忘れられた豊かさ探し「ふれ愛遊学探訪」

「しお風」は二宮の魅力が、二宮の特異な大地の成り立ちに起因し、青い空のもと里山、海、川があり、一日で歩いて巡ることができる小さな町、その生活文化や季節を感じる風景が残っている都会に近い田舎町、アカデミックな風土にあると考え、そのキーワードとして、みかんと愛を使って、物語性を醸しだす二宮の魅力を伝えようとしてきました。

 

その中心は近代建築物です。

1902(明治35)年に二宮駅が開設、1906(明治39)年に湘南馬車鉄道株式会社が営業を開始し、1913(大正年2)年8月の横浜貿易新報に掲載されたように著名人の別荘が、この町にも見られるようにもなっています。

 

近代数寄屋を大成し、文化勲章も受賞した吉田五十八の最高傑作と言われ、世界的20世紀名作住宅である自邸「旧吉田五十八邸」。

 

美人画で一世を風靡した山川秀峰が「どうせ海岸の町に住むのなら、海の一番よく見えるところにしよう」と思った別荘で、吉田五十八が設計した「旧山川秀峰・方夫邸」。戦後の新しい文学の先駆者、夭折した天才と言われている息子の山川方夫が住み、その文学に大きな影響を与えました。初めて訪ねた時の印象を「大磯の平坦な海岸に成れた私には、それは、思いもよらぬ位置からの眺望だった。」とその驚きを記しています。

 

北口通りにある銅板葺寄棟平入で日本国旗の風見のある看板建築の「吉田屋」、同じく看板建築の「タケイチ時計店」。

 

渡辺落花生加工場、明治期のレンガ塀やレンガ煙突などがある宮戸醤油醸造所の産業遺産。

 

東大二宮果樹園跡地の果樹園と一体となった大正、昭和初期の建築物が10棟以上ある稀で貴重な近代建築物群(3棟は東京帝国大学総長も務め、文化勲章も授与された内田祥三が監修したと推定されます)。

 

日本・東洋古建築を学問的に体系づけた最初の人で国宝保存会委員として文化財の保存に尽力し、文化勲章も受賞している伊東忠太が設計した「吾妻神社の社殿」など。

 

これらの近代建築物は、先人が二宮の特異な大地の成り立ち、歴史、景観などに魅力を感じ、それらを活かした建物をつくり、75年以上の年月が経った現在まで継承されてきました。そして、この魅力は継承してきた住民の力、愛であると感じています

 

しかし、近代近代建築物の老朽化はひどく、多くの住民は存在さえも知らない状況です。このままでは近い将来、これらの建築物は消失、存在したことさえも埋もれてしまう危機にあります。

これら先人が二宮の魅力に気づき、愛した遺産を今だからこそ私たちの暮らしにも活かし、二宮の魅力づくりに位置づけ、未来に伝えたいと考えています。

 


第1弾 近代建築物を活用した二宮の魅力づくりを求める陳情

陳情内容などについては「未来に伝えたい風景」をクイックしてスクロールするとアップされています。


第2弾 東京大学果樹園跡地内近代建築物群の破損に対する応急処置を求める陳情

陳情書は、こちらをご覧ください。

陳情資料は、こちらをご覧ください。

陳情趣旨説明書は、こちらをご覧ください。


活動内容

さらに物語性のあるまちづくりを進めるために、2008年から2020年まで実施してきた「walkwalk地域探検ツアー」のテーマ性を高め、充実させていきます。

 

2019年から実施している「walkwalk地域探検」を東大二宮果樹園跡地だけでなく、広げて近代建築物の現況調査、「山川文学まち散歩」の調査など広げて充実させていきます。